松戸市   中華蕎麦 とみ田

松戸市

「ドッキュ麺」千葉県松戸市の超人気店「中華蕎麦 とみ田」に密着。ラーメン業界のトップを走り続ける富田治は今、何を想うのか

フジテレビのドキュメンタリー番組『NONFIX』枠で、ラーメン店に完全密着し、その店の魅力を徹底的に深堀りしていくかつてないラーメンドキュメント『ドッキュ麺』が3月31日(土)26時15分より放送される。今回取り上げるのは、千葉県松戸市の「中華蕎麦 とみ田」。昼11時の開店にもかかわらず整理券を求めて早朝から行列ができるほどの超人気店で、遂には「とみ田」を題材とした映画が作られたほど。まさに名実共に「日本一のラーメン」と称されるお店である。

千葉県松戸市に店を構える「中華蕎麦 とみ田」

その「とみ田」を切り盛りする富田治店主は、「ラーメンの神様」と称される山岸一雄氏の「大勝軒」のラーメンに衝撃を受け、ラーメン職人を志す。2006年には「中華蕎麦 とみ田」をオープン。代名詞の「濃厚魚介豚骨つけ麺」で大行列店へと成長し、現在では系列店も合わせて9店舗まで拡大している。

そんな「中華蕎麦 とみ田」本店が、今年1月末に4ヶ月の改装工事を経て、リニューアルオープンを果たした。高まり続けるお客さんのニーズに応えるべく、リニューアルには富田の並々ならぬ想いが込められた。ラーメンの味はもちろんのこと、お店の内装や接客に至るまで、富田治店主の目指す高みとは一体何なのか。

ラーメン店が支店を増やし事業を拡大すると、「店主が経営に回って、厨房に立たなくなる(立てなくなる)」といわれる中、富田治店主は支店が増えた今でも常に本店の厨房に立ち、職人として在り続けることにこだわる。そこには富田がラーメン職人を目指すきっかけとなった「ラーメンの神様」山岸一雄氏の教えがあったという。

「職人」としての矜持を保ちながら、片や「経営者」としてもしっかりと成功を収める。ラーメン界において、このスタイルでここまでの規模を確立できているのは富田治店主だけだと言っても過言ではない。富田治店主はそんな自分の成功に対して「ラーメン店主を目指す若者に夢を与えたい」と語る。唯一無二のスタイルでラーメン業界のトップを走り続ける富田治店に密着することで見えてきた「飲食業界全体の未来にも繋がるヒント」とは果たして? 3月31日(土) 26時15分から放送される番組でその全貌が明らかとなる。

■ 初出しインタビュー:ラーメン業界のトップを走り続ける富田治店主は今何を想うのか

――富田店主がお店を繁盛させるために意識されていることはありますか?

僕は日本の戦国時代が結構好きで、ああいう時代を生き残っていった人の動きを見るとみんな時代に順応しているんですよ。刀を持っては駄目と言われても持ってて滅ぼされるとか失敗するのはそんなのばっかりで。でも変化に順応していくと、登りつめる人が出てくる。

僕の中でずっと意識しているのはラーメン業界あるあるの短期のブームで終わりたくないってのがすごくあって。戦国武将ではないけど自分が譲れないことは基本としてありながらも、時代の変化はきちんと読んで反応することは大切にしているところです。客が途絶えないとみ田の人気は異常だとラーメン業界の人からよく言われるんですが、ただそこだけはずっと狙ってやってきた自負はありますね。

――今後の目標は?

他のラーメン店主は分からないですけど、僕は実際プライベートの時間ってほとんどないんですよ。基本的に昼は店に立ちますし、そのあとは工場に行ったり打ち合わせがあったりして、利益が出てもあんまり使い道がないというか車も乗らないから汚いですし(笑)。

だから自分に利益があったり、会社を大きくしたいっていうのは本当にオープンして2、3年で自分の中では終わっている気がしていて。それよりももっとラーメンに関わる人たちに、生き様を見せたかったり、自然とそうなってきて、日本のラーメン界全体を盛り上げたい気持ちが今は何よりも強いです。だって僕がここまでしてもらったのはラーメンでありつけ麺であり、ラーメン業界そのものであるわけで。僕が変なことをすればラーメン界に泥を塗ることがある。僕が変なことをすればラーメンなんてこんなもんだろってなる。

日々がむしゃらにラーメンと向き合って、がむしゃらにラーメンと生きることでどれだけ人を喜ばせることができるか、目標というか、今はそういう感じですかね。

――ありがとうございました。

インタビュー撮影中、真剣な眼差しでラーメン業界への熱い想いを語る富田治店主の姿が印象的だった。日本のラーメン界車椅子にて全体を盛り上げたい気持ちが誰よりも強い富田治店主だからこそトップを走り続けることができるのだと感じた。これからもラーメン業界を牽引し続けていく富田治店主から目が離せない。

 

本日、松戸市三矢小台自宅より依頼を受け、お伺い、車椅子にて

松戸市和名ヶ谷松戸リハビリテーション病院に

通院治療をされ戻りました。